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株式会社大丸 代表取締役兼最高経営責任者(CEO) 奥田務氏

ライフヒストリー

株式会社大丸 代表取締役兼最高経営責任者(CEO) 奥田務氏 奥田務氏は、1939年三重県に生まれた。父親は証券会社を営んでいたが、疎開で幼少期を飯南郡射和村(いさわむら)で過ごす。津高校を経て、慶應義塾大学法学部に進学し、東京に出る。折しもオリンピックを目前にした東京は大きな変化の最中にあった。卒業後、株式会社大丸に就職した。当時大丸は流通業で売上高日本一の座にあり、高度成長の中で流通業への注目も高まっていた。京都店では紳士洋品の売り場に配属された。1975年にニューヨークのFIT(ファッション工科大学)に留学、卒業後ブルーミングデール百貨店で研修の機会を得て、ここでの体験がその後の経営観に大きな影響を与えることになる。
 欧米流の百貨店経営は、マーケット志向・標準化を重視しており、今まで経験してきた日本の百貨店とは異なっていた。また、FITでは実務と大学院の教育が融合していることに感心し、熱心に取り組んだ結果、卒業時に優等賞を贈られた。
 帰国後手がけた梅田店の出店では、不利な条件を克服して、コンセプトを絞った売り場作りで成果を上げた。梅田店は阪急、阪神という二つの百貨店に挟まれた、細長い売り場の高層階という必ずしも従来の百貨店では有利と見られない店であった。
 当初苦戦した店舗も徐々に顧客に浸透し、数年経つ内に顧客の支持を得られるようになった。その手腕と海外での経験を買われて、1991年に開店したオーストラリアのメルボルン店社長兼店長として赴任をすることになる。おりしも日本はバブル景気にわいており、日本の百貨店の海外戦略はピークを迎えていた。
 奥田氏は、商慣行の異なるオーストラリアで、日本とは異なる仕組みのビジネスを行った。仕入れ商品の買い取り制を行っているオーストラリアでは、バイヤーの能力は百貨店の成功の大きな位置を占める。バイヤーの採用や店頭の従業員の教育など、実際の百貨店の開店までには解決するべき問題は多かった。
 こうした問題を乗り越えて、オーストラリアのメルボルン店は成功を収めた。オーストラリアは、とても住みやすいところで、店の業績も上がってきたところで帰国することになった。
 当時の大丸は、業績不振の中にあり、1997年に社長を引き受けた時には、多くの不採算部門を抱えていた。そこで、奥田氏は不採算店を閉鎖したり希望退職者を募るなどして、抜本的な企業体質の変革を図ったのである。今回取り上げる3つのケースは、すべて奥田氏の社長時代と関わりがあり、なおかつ本人の意思決定が重要な役割を果たしているものである。
 
<ケースブック>
 
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