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シャープ株式会社 相談役 辻晴雄氏

ライフヒストリー

シャープ株式会社 相談役 辻晴雄氏 辻晴雄氏は、1932年、大阪市東住吉区に生まれた。父親は紙の販売と印刷業を営んでいた。腕白だった小学生時代に父親の手ほどきを受けたテニスの腕前は、今日でも業界内外に知られている。
 1945年8月、疎開地の芦屋で空襲に遭い、豊中に移り豊中中学に入学。1951年、関西学院大学商学部に進み、「会計学の父」として知られる青木倫太郎研究室(会計学)で学んだ。
 1955年、早川電機工業株式会社(現在のシャープ)に、文系の大学1期採用で入社。当初の経理課配属を経て計画課で、当時の花形商品である白黒テレビの販売計画を担当。作る以上に売れる時代で、計画修正の要請を乱発したが、工場長に、製造部門への配慮を欠くとして叱責された。以来、販売店への情報収集を徹底し、市場(=現場)の動きを予測したマーケティング手法に変更。氏のあらゆる仕事に於ける現場主義は有名で、行動の基礎となっている。1962年、営業本部商務課長として、マーケティング、販促等を担当。1965年、販売企画部長。1977年、取締役就任。この間、一時、販売会社の社長を務めるなど第一線営業のトップとしての経験を積むなど、営業部門の要職をこなした。
 1978年、テレビ事業部副事業部長として、栃木工場に赴任。翌年、本部長に昇格。この時、本部名が「電子機器事業本部」に変更となった。米国へのテレビ輸出規制で落ち込んでいたテレビ事業を、前例にとらわれない改革で再建するとともに、ビデオデッキ事業の立上げに成功し、当初700億円程度の売上規模を、1984年までの在任6年半で3000億円を超えるまでに成長させた。この間、映像を“観る”だけから、“撮り・創る”までに発展させる新生映像システム時代の到来を予見し、映像の総合事業を目指した。自身が打ち出した“ビジュアル・インテグレーション”戦略は、当時の商品企画部門や技術部門を大いに活性化させた。
 この電子機器事業本部長在任時代には、自ら商品企画会議を主管し、商品コンセプト、デザイン、機能、原価、開発スケジュ−ル等、すべての商品開発プロセスを陣頭指揮。商品企画決定(商品企画会議)、生産管理・生産企画(生産販売会議)、本部経営会議のほか、毎月行われる定例会議は緊張感に溢れ、当時ここで事業経営のマネジメントを学んだ幹部も数多い。本社に復帰後は、専務、社長として、事業本部時代に自ら経験した多岐に渡るマネジメントの実践と仕組みを全社に広めた。
 
<ケースブック>
 
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シャープ液晶応用商品開発にみる
辻氏の経営
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事業の柱にI
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