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企業家コラム
半田運河で思いを馳せた「又左エ門」の歴史
 ミツカンの中埜 又左エ門 和英氏の研究チームは、7月に、まずミツカングループの200年の歴史、すなわち8代にわたる「中埜 又左衛(エ)門」の歴史をたどるところから研究をスタートさせた。
 尾張知多郡半田で酒造業と食酢醸造業をいとなんできた中埜家が、8代目中埜 又左エ門 和英氏に至るまでの間に、ミツカングループという世界的な規模の組織にどのように至ったのか大きな好奇心をもって研究した。そして、代々の当主はそれぞれ家業の浮沈にかかわる障害、困難に遭遇しながらも、破綻を避け、企業を成長させるために創出と改廃の歴史をたどってきたことが読み取れた。
 企業家や経営の研究というより「歴史」の研究のようだと学生が感想をもらすほどミツカンの歴史は長く重みがあった。簡単に8代目までをたどってみると次のようになる。
 初代は、1805年に米酢や酒酢の時代に酒粕を利用した「粕酢」作りを開始した。2代目の時代には、江戸でのすし屋が繁盛、すしブームが起き、米酢に比べて安価で品質のいい粕酢が江戸の市場をつかむことになる。3代目の時代には、複数の酢屋が丸勘印を用いていた中、「山吹」「中野」「富貴」などのブランド戦略を展開し、「尾州半田中野」と印された酢が江戸市場でもてはやされる。現在もミツカン本社の近くに残る中埜家本邸(山崎邸)はこの時代に手がけられた。4代目の時代には、酢の売れ行きが好調で資金も豊富であったため、牛乳製造業、ビール醸造業などの新しい事業を次々と立ち上げていった。また、「ミツカンマーク」の商標出願もされた。5代目の時代にも事業の多角化は進み、紡績業、銀行、瓦斯会社などを設立した。6代目の時代には関東大震災や第2次世界大戦で半田など一部の工場を除く多くの工場が破壊炎上した。
 7代目の時代は事業が最も発展拡大した。7代目は、それまでの樽から瓶詰化にシフトした上で、スーパーマーケットによる流通革命に対応するため新たな食品ルートの開拓、営業拠点の全国展開に力を注いだ。また、国内メーカー部門の売上高を1000億円に押し上げ、開発品の比率を全売上の7割にするという目標を立てた。その後、「五目ちらし」「追いがつお」などがヒット、食酢へ依存した体質を改善するという戦略をほぼ達成させた。そして、創業200周年を越え、現8代目へと至る。
 9月に、我々は愛知県半田市のミツカン本社を見学に行った。最上階からは半田工場や中埜家本邸、かつてのビール工場である半田赤レンガ建物などが見えた。また、江戸時代や明治時代に建てられた蔵が立ち並ぶ運河沿いの道を歩いていると酢の香りがしてきて、いつの間にか200年の「中埜 又左衛(エ)門」の歴史に思いを馳せていた。

※ 歴代の当主のうち、初代から6代目までは「中埜 又左衛」と称しておられましたが、7代目は「中埜 又左エ門」、8代目は「中埜 又左エ門 和英」と襲名されています。
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