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ミツカングループ本社代表 中埜 又左エ門 和英氏

ライフヒストリー

ミツカングループ本社代表 中埜 又左エ門 和英氏 中埜 又左エ門 和英氏(現8代目中埜 又左エ門 和英ミツカングループ本社代表) は1950年、愛知県半田市に3人兄弟の長男として生まれた。1973年、慶応大学商学部を卒業後、中埜酢店に入社し、他の社員と全く区別されることなく業務にあたったという。その間、又左エ門 和英氏の父でもある7代目中埜 又左エ門氏は、1983年の年頭挨拶で「売り上げ1千億円達成」を唱え、その目標も1993年頃には達成された。
 又左エ門 和英氏は、1994年に代表取締役専務に就任し、初めて7代目と共に経営の舵取りを開始した。この時7代目は「自分が信じたことを思い切ってやればいい」との言葉を又左エ門 和英氏に贈ったという。そして、1995年、7代目が体調を崩しがちになったために副社長に就任した。
 2002年、7代目が亡くなり又左エ門 和英氏はミツカンの社長に就任する。そして、先代の喪が明けた翌2003年6月、又左エ門 和英氏は「中埜家8代目当主中埜 又左エ門 和英」の襲名をする。「ミツカンにとって7代目の時代こそ、まさに第2創業の時代だった」と、又左エ門 和英氏はこの時語っている。
 8代目を襲名し社長となった又左エ門 和英氏は、新たな変革と挑戦によって第三創業となるミツカングループの新しい時代を切り拓くことに取り組み始めた。2003年はミツカンが創業200周年を迎えた年であり、これを節目として新しいグループビジョンを策定し、「既存事業の再構築」「多角化の推進」「国際化の推進」を事業戦略の3本の柱とした。また、コーポレートブランド戦略への転換として、コーポレートロゴをmizkan≠ヨと変更した。
 
老舗企業における後継者教育
 7代目中埜 又左エ門は、時には周囲がハラハラするような叱責を又左エ門 和英氏に発したという。後継者を育成するという企業家としての責任と代々受け継がれる中埜家当主の責任を果たしてもらいたいという思いの表れであったのだろう。後に又左エ門 和英氏は「いつも叱られてばかりだった」と述べている。
 1974年に又左エ門 和英氏が結婚した時も7代目は「生活費の一切を給与だけでせよ」と厳命し、同居の家賃まで取ろうとしたという。7代目はこのようにして又左エ門 和英氏にお金に対する苦労、社員の苦労、企業経営の厳しさを彼自身の体で覚えさせようとした。
 他方、1977年には又左エ門 和英氏は山林を購入し森林事業を創業している。伯父のお宅に7代目夫婦と和英氏夫婦が招かれた際、伯父から林業経営を強く勧められた。伯父は、7代目に「あなたは非常に厳しい人です、息子さんが伸び伸びと挑戦できる機会を持たせてはいかがでしょう。」と言い、7代目の足跡のない新しい事業を自ら陣頭指揮する場として、また時には息抜きの場として林業を勧めた。
 又左エ門 和英氏は、想いを込めて、丹精込めて育ててやると生き生きとした山林に生まれ変わる姿を実感し、「どんなものにおいても努力と工夫次第で立派に成長していく。これは大きな喜びを感じる」、「創業の喜びと継承の大切さを感じ、そこに何か経営の基本を得たようにも思える」と述べている。
 
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