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株式会社堀場製作所 最高顧問 堀場雅夫氏

幼少時代・京都大学時代〜(株)堀場製作所設立(1953年)

株式会社堀場製作所 最高顧問 堀場雅夫氏 堀場雅夫氏は1924年(大正13年)、京都帝国大学教授であった父・信吉、商家の出である母・美喜子の二男として京都市下京区に生まれた。京都府師範学校付属小学校、神戸にある甲南中学・高等学校を卒業後、研究者・学者を志して京都大学理学部に進学している。幼少期には科学少年としてものづくりに目覚め、高校時代にはラガーとして全国制覇を遂げている。
  京大在学中に終戦を迎え、大学の原子核研究機材・施設が米軍によって破壊された。これにより原子核物理の研究ができなくなったため、エレクトロニクス分野の研究を行う堀場無線研究所を創設(1945年)した。同研究所はさながら京大研究室の延長のようであり、大学での研究に必要な機材や設備を製作するかたわら、停電時に使用できる電灯用蓄電バッテリーなどのヒット商品も開発した。また当時、エレクトロニクス製品を製造するためにはコンデンサーが必要であったが、良質の国産品がなかった。堀場氏はコンデンサー製造のために(株)堀場製作所の設立を目指すが、朝鮮戦争勃発によるインフレにより工場建設は断念。かえって会社設立の借金を負うことになった。そこで堀場氏は、小資本でも製造できる国産初のガラス電極式pHメーターを開発した。おりしも食糧増産のための肥料工場などに拡販された。 
 
日立製作所との提携(1959年)〜自動車排ガス測定器MEXA開発(1964年)
 経済団体による米国視察に加わった堀場氏は、一行のなかの日立製作所の関係者と出会った。これが契機となって1959年日立製作所との提携が成立し、機器販売は日立側が受け持ち、堀場製作所は研究開発・製造に専念できる国内体制が確立された。この提携関係は、日産自動社のゴーン社長による流通改革を契機とした提携解消まで、およそ40年間の長きに渡って維持された。1964年には、堀場製作所発展の契機となった自動車排ガス測定器が開発されている。大浦政弘氏(第2代社長)らが堀場氏の目を盗んで研究開発を続け製品化に成功したものであった。
 
日立製作所との提携(1959年)〜自動車排ガス測定器MEXA開発(1964年)
 堀場製作所は大証2部上場(1971年)、東証2部上場(1974年)、続いて東証1部・大証1部上場(1982年)を果たしている。設立25周年を迎えた1978年、堀場氏は53歳で社長を退任し会長(代表取締役)に就任した。この時、役員会で反対のあった社是「おもしろおかしく」を制定している。その後、堀場氏は地元京都の中小企業・ベンチャー振興にもつとめ、また全国的な新産業・ベンチャー育成のための活動や教育活動にも尽力している。堀場製作所では1992年に、長男・厚氏が社長に就任し、海外営業などの経験を活かしてグローバル戦略を推進している。
 
<ケースブック>
 
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  企業文化「おもしろおかしく」   堀場 雅夫氏ライフヒストリー   堀場製作所の製品開発とパートナーシップ  
 
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