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公演2


 「企業家は産業の歴史を変えられるか?」のテーマの下、1)歴史における個人の役割、2)「達人性」と「先見性」の相対化と言う2つの問題を、松永安左エ門とエンリコ・マッティという経営者を分析対象に考えてみます。
 松永安左エ門は福沢桃介と共に日本の電力業界を引っ張った存在です。福沢が大規模水力開発を主体にした国家管理発想のサプライサイド・アプローチであったのに対し、松永は水力と火力を組み合わせてサービス(配電)を重視したデマンドサイド・アプローチで、早期に「電力自主統制構想」を提案して、後年の電気事業再編成(民有民営9電力体制)を見通していました。松永は一人一業で電力の枠に留まっていましたが、明らかに先見性をもって日本電力業の流れを変えた人物であると言えます。そして、なぜ松永がそうなりえたのか?それは、@需要家重視のビジネスモデル、A徹底した調査・研究、Bライバル・盟友の存在があったからだと思います。
 次に、エンリコ・マッティ(ENI創設者)、出光佐三(出光興産創設者)、山下太郎(アラビア石油創設者)の3人の企業家を取り上げて、日本とイタリアの石油産業の現在の競争力の違いが、企業家活動のレベルの違いによって生じたことを明らかにします。
 この三者は旺盛な企業家精神、メジャーズへの挑戦、国民的支持という共通点を持ちながら、ビジネスモデルや政府との関係に相違がありました。マッティは当初から「油田からガソリンスタンドまで」という垂直統合を志向したのに対し、出光は下流(石油精製と販売)に、山下は上流(石油採掘)に特化していました。また、マッティはイタリア政府を追随させましたが、出光は日本政府と対立、山下も政府からの支援は不十分でした。こうした企業家活動のレベルの違いが、戦後のイタリアに国際競争力をもつ石油会社(ENI)が誕生し、日本では今日まで登場することがなかった一因と考えられます。マッティは、非産油国・敗戦国の石油の流れを変えた人物であり、優位なビジネスモデルを作って、世界に伍する石油会社を構築した達人であると言えます。
 二人の企業家の例からも冒頭の2つの問題は、1)歴史において個人(企業家)は産業を変えることができ、2)複数の企業家の国際比較、歴史分析によって、「達人性」と「先見性」は相対化を図れることができる、と解答できます。

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