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パネル・ディスカッション

佐藤

橘川先生の研究はスケールが大きいという印象を持ちました。特に達人性と先見性の研究スタイルですが、今まで私が足らなかった研究の視角を提供して頂き勉強になりました。ただ、取り上げられた企業家・業界が電力と石油という巨大マーケットで、私は割とちまちまとした日常消費財の分野、あるいはサービス系、スーパーマーケットの業界を見ていますので、その意味では非常にニッチ的なマーケットが大きいので、橘川先生が出された結論とは違うかと思います。視点を変えるとまた面白い見方ができるのか、その辺が業界によってどう違ってくるのかを教えて頂きたい。
 金井先生の報告も非常に興味深くて、お話に出たボディ・ショップ・インターナショナルとがベン・アンド・ジェリーが駄目になった原因を分析したケースを私も書きました。要するに社会企業家といっても、民間企業と競合するところで活躍しても駄目だろう、負けるだろうということで、ボディーショップもベン・アンド・ジェリーもだんだん普通の企業になってきたわけです。ニッチではなくなってきたということ。
 しかしその後ボディーショップ・インターナショナルは、だんだん逆にニッチ性が強くなってきて、最後は政治組織になって企業ではなくなってきました。例えば戦争に反対するとか捕鯨活動に反対するとか、主力がそちらの活動に向いてきて本業のほうが少し弱くなってきたのです。ベン・アンド・ジェリーも同様で、大企業と同じ土俵で勝負しているのだけれども社会性がなくなって消費者からそっぽを向かれてきた。感動経営ということを言っているのですが、何をしているかと言うと従業員をものすごく大事にしている。運動会をやったりと、自分たちが楽しむことがメインになって、製品開発を忘れてしまったり、経営のやり方がマンネリになってしまいました。アイスクリームは非常においしくて、日本でも一時ファミリーマートで売られたりしていたと思うのですけれども、やはり社会企業が民間と同じような土俵でやるとやられてしまうと、私自身は分析しています。

 

定藤

堀場雅夫さんは大学ベンチャーのはしりで、京大の研究成果とか先生方の助力を得ながら、電蓄電池やCO2の排気ガスなどを測定する機械、分析機器などで成長した歴史があります。堀場さんは技術や科学が一番好きで別にビジネスなどしたくなかった、と言われており、そのDNAが堀場製作所にはあるという感じがします。
 堀場さんをはじめ、京都には京セラの稲盛さん、ロームの佐藤さん、任天堂の山内さんなど、非常に個性の強い企業家がおられます。大阪が大企業主体で、東京のミニチュアのような感じですが、京都は独自の技術に凝って、それにこだわっているユニークな経営者がいる地帯をつくっている。堀場さんは社長を53歳で退かれて会長になると、京都の中小企業を支援する活動、情報センターや京都高度技術研究所を造られます。「東京は日本の中心ではない。京都企業はグローバルな市場を狙う。いちいち行政、官僚からはしの上げ下ろしまで言われる筋合いはないんや」というお話をされました。企業家の中の反骨精神というのですか、何かにこだわりがある。あるいは先見性に結び付いていく。グローバル化の中で京都企業の特色になっている。

 

橘川

私が取り上げた産業が大きな産業であったのことですが、確かにこれは重要な問題だと思います。結論から言うと、その市場の大きさとの関係で、ある経営者がやれることをいっぱいいっぱいまでやったら、もうそこから先はやらないほうがいいのではないかというのが私の考えです。つまり経営者にしろ学者にしろ、旬な期間はどんなに素晴らしい人も5年位だと思います。この10年で私が一番注目しているのは、1995年のキヤノンの御手洗改革、2000年の松下の中村改革、2005年の東芝の西田改革ですが、それぞれ5年経ったらもはや中心舞台にはいないと思うのです。松永の場合はたまたま産業が大きかったことと、やり残したことがたくさんあったために活躍が長かった。もしかするとエンリコ・マッティーは56歳で死んだが故に英雄となったのであって、そのまま生き続けていたらどうなったのか分からない。今日は人間が歴史を変えるという側面を強調しましたけれども、人間の限界の側面もきちんと見ていかなければいけないと思いました。

 

金井

恐らく一番の問題はバランス面だと思います。実は社会企業家の定義は人によって様々で、今日私が報告したような人は社会企業家ではないという考え方もある。なぜならば社会的弱者を何らかの形で救済するというふうにスタンスを置くと、今日取り上げたのは社会的弱者ではありませんから社会的企業家でないとなる。ですから、社会的企業家はどこにポイントを置くことによってかなり違ってくる。
 例えばアメリカでは、社会企業家は基本的には事業を通じて社会的問題を解決する、という点にまとまっているのです。日本の場合、どちらかと言うと社会的弱者の救済に近く、NPOのようなものを主にします。私は経営学をやっているので、基本的には事業ベースで考えていて、社会的な問題に対しどういう形で事業を通じて社会的価値の創造が成されているか考えるべきだと思っています。
 私はNPOを分離させました。企業の中にいると、企業で社会的うんぬんと言っても、企業との関係でなかなかそこに入ってこられない。しかし、逆にそうすると今度はNPOが全然収益性がない。いかにこれをペイラインに乗せていくかということが、別の課題になってきます。 一応収益性が上がる事業作りはやっていますけれども、こちらは逆に難しくなっている。私がなぜそれぞれのバランスの問題というのかは、かなりガバナンスの問題にも関わってくるからです。ソーシャルベンチャーとかソーシャルエンタープライズというのは、どういったガバナンスのシステムを取っておくか、トップがどうあるかによってかなり変わってくる。どこの部分でバランスを取っていくかというのが、社会企業家の一番の難しさなのではないか。
 私と橘川さんの講演内容を考えますと、かなり橘川さんのほうがビックなイメージ、ビックリーダーです。ただこういう人たちだけが企業家と言うのはあり得ません。橘川さんの今日の報告で一番興味を持ったのは、電力が日本のさまざまな産業のインキュベーターの役割を果たしたと言う点で、こういう先端的なところがインキュベーターの役割を果たし、そこでやった人がいろいろなところに散って、いろいろな事業を起こしてそこの先陣を切っていると思いました。

 

定藤

堀場さんのお話に、「おもしろおかしくやらんといかん」とありまして、企業家も職能を果たすのには何が必要なのかと思うと、結構「遊び心」が必要なのかなと。
 堀場さんやロックフィールドの岩田さんにインタビューしますと、お二入ともけっこう遊んでいるのですが、「遊ぶ」ということはリスクを取ることという気がしてきました。人間遊ぼうと思うとエネルギーがいるし、リスクはあるし、その中で度胸のようなものが付いてくるのかと。企業家はやはり「遊び」の中から出てくるのか。企業家を育てないといけない時には「おもしろおかしく」、やはり「遊び」が必要だと。リスクを取る原点は、何かに熱中する「遊び」ではないかというような感じがしました。

 

佐藤

社会的職能という面からすると、経済学をベースにしてアントレプレナーシップの研究を始めたのですが、カーズナーとシュンペーターに注目しました。全然違うことを言っているのです。シュンペーターは、均衡状態を破壊することから進歩が発生すると言います。カーズナーは市場の需要・受給の不均衡を発見して、それを接合するのがアントレプレナーの役割なのだと。私はカーズナーの考え方が好きで、足らない部分をうまく満たす、社会調和を発生させるというのが企業家ではないのかと思う。社会的なアンバランス、インバランスをうまく調和させる。そこで利益を発生させるということなのです。
 それから、私は画期的な革新を起こした50人を選んで、どうして成功したのか調査した時、成功した要素というのは、好奇心かと思うのです。感受性の高さ。情報感度の高さ。先見性にも係ってくるのですが、何か違和感を感じると。その違和感をとことん突き詰めていくと、そこから社会問題が見えてきて「ああ、そうや。これで解決できるん違うかな」という部分です。それからもう1つは、好奇心でも明るい面。「何か面白いことないのか」ということでビジネスチャンスを発見される方。
 プラス探究心。「何でやろう」という部分を自分で仮説を立てながら答えを導き出そうとする。それを実践してそこから仮説を検証していって、またより大きな正解に近いような行動を取っていく。PDCAのサイクルを疑問を持ちながら回していくという、そのあくなき探究心。アブダクションの能力が高い人。それが50人に共通していたのかと思っています。

 

金井

クラスター化できるかが、社会企業家でも一般の企業家でも大きなポイントとなっていて、どうもこの辺の仕組みの理論化が全然できていないという感じがします。ですから私の今の仮説は、2つの企業家を分けてそのダイナミックなインタラクションを考えるという話です。
 2つ目は、あるプロセスの中で、シュンペーターが来て現状破壊を起こしますが、今度はカーズナー的なものが来る。またシュンペーター的が来る。私はこのサイクルでいけるのではないかと感じていますが、明確な検証がなされていない仮説段階です。
 3つ目は企業家を見ていると、やはり運がある。運はどうしたら説明できるのか私は分からない。これは一番難しい。実は今、運を手繰り寄せるネットワークというものを考えています。誘惑が多い中で成功する人と失敗する人は何が違うのだと。どうもやはりネットワークの違いがありそうだ。もう一つ、事業を起こす時には何か出会いがあります。不幸な出会いと幸運な出会い。これは何だろうか。そこに何か手繰り寄せるものがあるのか。ネットワークと運というものを私はすごく感じている。もし別のネットワーク、網の目にいたら、おれは今のおれではなかっただろうと思うのです。その網の目を運と呼ぶかどうか分かりませんが、どうも企業家にもそれがありそうだと考えています。

 

橘川

1つ挙げろと言われれば、人間力です。私は大企業の中興の祖といいますか、会社を立て直すタイプの企業家について言いたいわけですが、90年代以降は、もう1人の人間では無理だと思っています。つまりファイナンスもCO2の減らし方もマーケティングもサービスも分からなければいけないし、サプライチェーンまで全部見なければいけない。大企業のトップは7〜8人の束となって、群れとしか育ってこないと思うのです。そのネットワークの中に入ることが第一条件で、そのネットワークで人の意見を聞く耳がある謙虚な人であることが重要であると思います。その上で、責任を持って決断できる人。バックに群れとしての仲間がいて、その中で一番人の話を聞いて、しかし一番責任を持って決断できる人が社長になる。そういうようなイメージを含めて人間力という言葉を挙げたいと思います。

   
 
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