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シンポジウムレポート1
「現代企業家の戦略的役割」プロジェクトの紹介

  奥田氏のライフヒストリーには、3つの転機がありました。まず疎開時代に、開明的な祖母の影響で恥ずかしくない生き方をすることを教えられました。長兄であるトヨタ自動車会長の奥田硯氏と共に、日本を代表する企業のトップに就いた事も、幼少時代どういう育てられ方をしたのかという面白いケースだと思います。2つ目は慶應義塾大学で音楽に熱中し、教養を高めることに力を注いだ事が、トップになってから役立っているとおっしゃっています。3つ目はニューヨークのFIT(ファッション工科大学)時代に、アメリカの合理的な経営に感銘を受け、サラリーマンが懸命に勉強していることに非常に驚かされた事です。当時、日本は高度経済成長でサラリーマンが勉強する雰囲気ではなかったが、「自分も勉強しないとこの百貨店という世界の中でやっていけない」と強く感じたそうです。

オーストラリア店の出店と撤退
奥田氏はオーストラリア・メルボルン店の出店から撤退まで関わりました。まず、1988年にオーストラリアに計画室長として赴任、後にオーストラリア社長に就任して海外事業を運営。しかし、その後、日本に戻って大丸本体の社長となり、結局最後にオーストラリア店を含む全海外事業からの完全撤退という決断を下しました。
オーストラリア事業では、全面買い取り制という日本とは全く違うシステムでやってきて、ここでの経験が今の経営改革に非常に生きていると思われます。2002年の閉店を惜しむ声が多かったが、全従業員の再就職の場を探し、当地の従業員の評価も高かったとのことです。

ケース2:大丸の経営改革
 1997の社長就任後、奥田氏は組織の変革と戦略の一致性を基本に、大丸の経営改革に取り組みました。接客パターンと取引先との関係を見直し、初めて適正な人員配置という考え方を大丸に持ち込み、海外からの全面撤退、国内店舗の閉鎖、関係企業の整理、早期退職制度の実施により、効率的な事業展開に成功しました。
  2003年の会長就任以降は、取締役を削減して執行役員制を導入、早朝連絡会議や土曜日の経営戦略会議等を主催して、意思決定の迅速化を図りました。
その結果、奥田氏の社長就任後、利益は継続して増加しています。

ケース3:札幌店の出店
  奥田氏の社長就任後の最初の意思決定により出店された札幌店は、業界内でも驚異的な成功を収めた店舗と言われています。北海道経済がかなり悪い時期での出店に、反対の声も多かったのですが、駅近という立地性、正方形の売場の形、他店より規模が大きい等の好条件から、出店を決断されました。
  当初の企画よりも少ない人員配置で運営を可能にし、初年度から黒字を実現。新マーチャンダイジング情報システムにより、売場の拡縮が容易になり、商品ロスや品切れロスが軽減しました。奥田氏によると、それまでに蓄積した経営改革のノウハウを、札幌店ではゼロから注ぎ込めたことが、成功の要因ではないかとのことです。
 
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